ボランティアの価値
第39回(令和元年度)
全国高校生読書体験記コンクール県優良賞
山田朱凛さん(新潟県立新潟高等学校)
私は中学時代、ボランティア委員会に所属していた。海岸清掃やキャップ集めなどの活動に参加してくれたボランティアと達成感を味わうことができ、ボランティア活動にはプラスのイメージを持っていた。しかし、この本はタイトルが「ブラックボランティア」であり、ボランティアにマイナスのイメージを持たせていた。そこに疑問を持ったのだ。また、一年後に差し迫っている東京オリンピックが話題になっており、興味があった。
巨大な商業イベントである東京オリンピックのボランティアは十一万人以上と予想されている。組織委員会は、彼らにユニフォーム貸与や保険設定、交通費や宿泊費は自己負担にすると説明している。すべて無償、タダで「使う」ことを前提としているのだ。華やかに見えるオリンピックの舞台裏は、膨大な数の無償ボランティアによって支えられている。しかし、そもそもボランティアとは「志願する、自主的な」という意味であり、そこに「無償」という意味はない。ボランティア学の専門家によれば、ボランティア活動とは「自発性」「非営利性」「公共性」が中核的特徴だという。だとすれば、五十社からなる国内スポンサーから巨額な資金を集め、スポンサーの利益を至上主義とする東京オリンピックはボランティア活動の定義から外れることは明らかだ。また、十一万人という大人数のボランティアを得るために、大学生層をあの手この手で動員を図ろうとしている。そこで問題にしているのが、ボランティア教育という授業を行い、オリンピックボランティアに参加した学生には単位を与えるというものだ。ボランティアの基本理念は対価を求めないことであり、最初から「単位」目当てに労働力を提供するのであれば、それはもはやボランティアとは呼べないのではないか。オリンピックを目前にして、こういった問題があるということを皆さんは知っていたのだろうか。
私はこの本を読んで、筆者の考え方とは違う思考にたどり着いた。筆者は、東京オリンピックのボランティアは組織委員会に無償で使われると考えている。確かに、保険設定や交通費までもが自己負担になるということには驚いたが、ボランティアは、観客とは違った視点からオリンピックが見ることができて、良い経験になるのではないかと思った。ボランティア同士で仲も深まり、新しい人間関係が築けるかもしれない。また、ボランティアをしたいと思う人は、オリンピックを成功させたい、日本でオリンピックが開催されるというまたとない機会に参加してみたいなど、お金では測り知ることができない大価があると思う。
この考えを導いたのは、中学時代の海岸清掃のボランティア活動に参加したことがあるからだ。朝の六時三十分に集合するために早起きして、遠い道のりを自転車で漕ぎ、ゴミを拾った。朝ご飯を食べる余裕もなかったため、途中でお腹も空いてきた。でも、朝の清々しい空気と目の前に広がる広い海を感じることができた。それはもう空いたお腹も忘れて眠気も飛んでいってしまうほどだった。清掃が終わると、汚かった海がきれいになり、皆と喜びを分かち合った。地域の人々も参加していて、話したり一緒にゴミ拾いをしたりして、交流ができた。地域との絆が一層深まったように感じられた。このようなことから、毎年ほとんどの生徒が海岸清掃に参加していた。大変なことも多いが、その分得られることもあるのだということを学ぶことができた。
私はボランティアとは、自らが進んで参加するものだと考えていた。しかし、東京オリンピックの組織委員会は十一万人という前人未到の数に自主的な応募だけではとても足りないとみたのだろう。前述のオリンピックボランティアに参加する学生には単位を与えるという制度に私は驚きを隠せなかった。単位を得るだけに参加してもらっても学生にとっても、観客にとっても、そして選手にとっても良くないのではないだろうか。意志のある人だけがボランティアになるべきだ。