共に前へ
第41回(令和3年度)
全国高校生読書体験記コンクール県入選
小林侑生さん(新潟県立新潟高等学校)
(取り上げた書名:『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』/著者名:門田隆将/出版社名:KADOKAWA)
二〇一一年三月一一日の午後二時四十六分、下から突き上げてきた衝撃と、長い横揺れが幼稚園を襲った。当時五歳だった僕は周りの泣いている友達を心配しながら床に伏せていた。これがこの本に描かれている人々の、原発との長い闘いの始まりである。
東日本大震災から十年となる今年、僕はこの本と出会った。きっかけとしては、書店で母から勧められ、日本人が忘れてはいけないことだと感じたからである。東北、なかでも福島第一原子力発電所の人々の勇敢な姿について深く知ることができ、未来を生きる僕たちにとって大切な一冊だと思う。
この本の中で特に印象深かった場面は、福島第一原発の人々が、最悪の事態が迫っていると分かったとき「最少人数を残して退避」という指令を出した場面である。原子炉の冷却機能が大津波の直撃によって失われ、暴走さらに爆発をくり返す惨劇の中、社員の命を守るために出されたこの指令には、発電所所長の「生きて帰す」という強い意志が感じられる。多くの人の生死が懸かる決断はとても難しく、失敗が許されないため、いかにあの日の福島第一原発、そして日本が厳しく辛い状況だったのかが伝わってきた。
僕はこの場面から、改めて「リーダー」とはどういうものかということを学んだ。何が起きるか分からず、それでも臨機応変に対応していかなければいけない。口で言うのは簡単だが、行動し続けるのはとても難しいことである。僕も中学時代、本作とは立場は違うが、リーダー性について考える経験をした。僕は中学三年生の年、生徒会副会長を務めた。生徒総会から学校行事、地域活動などを学校の代表として企画、運営、参加した。時には上手くいかないこともあったが、周りの人たちに助けられ、成功を収めることができた。しかし、大幅な変更が必要になった例もある。それは、学校行事だ。コロナ禍において大きな制限を受け、悔しい思いをすることが多かった。体育祭では、ルールが二転三転し、すぐに競技・応援リーダーたちに情報伝達することができず、混乱することも多々あった。「中学生はもし感染しても重症化することはほとんどない、しかしその家族はどうか」と考えると、命の危険がそこにあるというのが現実だと分かる。自分たちの運営により、悲しむ人が出ないように。強い責任感が僕を動かしていた。コロナウイルスは感染しても後遺症は大きく残らない、そう思う人がたくさんいるだろう。では、放射線はどうか。これも中学時代の話だが、僕は自校の代表として、広島平和式典に参加した。資料館では放射線による被曝がどれほど痛々しく、生存したとしても一生体をむしばんでしまうということを学んだ。このような恐怖にも立ち向かい、ぎりぎりの状態で故郷を守ろうと行動した人々には、感謝と尊敬の気持ちしかない。
しかし、あの大震災と原発事故による傷は癒えたとは言えない。未だに行方不明の被災者、待ち続ける家族がいる。作品中にも、現場の社員が、家族への思いを吐露する場面がたくさんある。そして、放射線による食材への風評被害も完全には無くなっていない。厳しい検査を行ったとしても敬遠されてしまう事例も報道で何度か目にする。一時、「原発いじめ」という避難者への冷たい行為も耳にした。なぜこんな事が起きてしまうのか。確かに放射線は怖いものだ。しかし、具体的な根拠も無いまま、頑張っている人、前向きに生きようとしている人を傷つけるのは許されないと思う。傷ついた心に寄り添い、応援し、一緒に復興の道を進んでいくことが大切だと考える。
「共に前へ」。この本と出会い、震災、放射線の怖さ、人々のつながりについて考えることができた。僕たちは未来を担う一員として過去に背を向けず、多くの学びを得ていく必要がある。日本はきっとこれからも多くの災害に見舞われるだろう。しかし、そんな時こそ団結し、支え合って乗り越えていきたい。そのためにはやはり「リーダー」が必要だ。何よりも他人のことを気遣い、自分から率先して行動できる人である。僕はこの作品を通じ、リーダー性について考えることができた。今度は僕自身がこの経験を「読んだ」という過去で終わらせるのではなく、未来の人々の生活に貢献できるような行動を起こしていきたい。たくさんの人々と共に前へ進むために。